由  来



八紘会(やひろ)は武道を通じて日本古来の尚武の精神に基づき我が國の傳統と文化を継承する為に皇紀2644年 昭和59年3月1日(1984年)に國柱會の本部がある東京都江戸川区で結成しました

八紘会は國柱會の創立者田中智学先生が神武天皇の崇高な世界平和の願いが込められた御言からの造語である八紘為宇から由来します

八紘を「はっこう」と読まずあえて「やひろ」と読むのは漢字を支那で発音したままの音で読む音読みでなく日本固有語の和語である読み方の「やまとことば」を意味する和訓もしくは「ときほぐしてよむ」訓読みにこだわったからです

八紘為宇の言葉は祖父から聞かされていたので理解はしていたが國柱會の近くに居を構えるも國柱會の田中智学先生の事など知る余地もありませんでした

國柱會必武館で刀を抜いて一撃で相手を倒す抜刀術に柔術を取り入れた居合道を習う事により田中智学先生を知り八紘為宇とつながりました

そして田中智学先生の弟子に満州國を建國した陸軍参謀石原完爾がいて石原莞爾閣下が提案した東亜連盟構想に石原莞爾閣下を師事した國際空手道連盟極真会館館長大山倍達がいました

私が子供の頃父親と大山倍達館長は近所付き合いしていた関係で極真会で空手を習い期間は短いが大山倍達館長に直々に空手を教えてもらった数少ない直弟子になります

また政財界のフィクサーである日本船舶振興会会長笹川良一が呼びかけた「世界は一家、人類みな兄弟」という言葉は「八紘為宇」の現代語訳です

私にとって笹川良一会長は父親の勧めで入団した日本海洋少年団です

千葉県の館山で合宿して手旗信号・カッターボート・空手など訓練した日々

何故か今も笹川良一会長に敬礼した小学校4年生の暑い夏の日を思い出します

石原莞爾閣下が建國した満州國の建國宣言日である皇紀2592年 昭和7年3月1日(1932年)と私の実際の誕生日3月1日と同じであり満州國が掲げた五族協和と八紘為宇は亜細亜における欧米列強の覇道的植民地主義を駆逐すべき肇國の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本としました

八紘会結成当時に何ひとつつながりがなく知らず知らずのうちに関わり、偶然も重なれば必然に思えてくるつくづく縁とは不思議なものと感じます

その後皇紀2662年 平成14年6月1日(2002年)神奈川県選挙管理委員会に政治結社八紘会として届け八紘会結成から数えて27年政治結社八紘会から9年が経ち現在に至っています

団体紋は天皇皇后両陛下・皇族方のご紋章である「十六弁八重表菊紋」を使用することは不敬はなはだしく一枚少ないとはいえ恐れ多くも十五菊紋に八紘の文字を入れ「八紘菊紋」として使用しています

また八紘という団体は数多くありますが八紘会を名乗る正統性が自らの義務であり使命であると自覚しています

政治結社八紘会は國體護持の神髄に徹し七生報國と純忠至誠の氣魄を發揮する為に具現に向って邁進せんことを期して居るものであります


神武天皇即位紀元2671年 元旦



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